小学校付き添い編⑧「運動会・秋」

息子が運動会・春を終えて、夏を過ぎて運動会・秋を迎えた。

私が子どもの頃は運動会は秋が主流だったが、息子の育つこの地域では学校主体の運動会が秋に開催されることになっており、種目がかけっこ、玉入れ、表現と息子の出番が増えていた。運動会・春でかけっこと玉入れはやっていたので、表現はどうかなと思ってみていると、列の最後尾で呼吸器を車いすに載せた重装備の息子は一目でわかるくらい目立っていた。この時点では、まぁそんなものだろうなと思っていた。

ところがこの数年後の運動会では、周りの子どもたちも成長し、背も伸びて息子も最後尾ではなくなったこともあり、彼の姿は集団の中に埋もれて、溶け込んでしまい、親の私たちの目から見ても、見つけにくくなっていったのである。またまた話を盛りやがってと思われるかもしれないが、事実だから仕方ない。

これはともに学びともに育つことで、家族を含めた息子を取り巻く環境、視線が変化したのだと感じている。

 

1年生だった息子は玉入れにふつうに同級生と参加できたのだが、あとあといろんな人からの話を聞くと、車いすユーザーの子どもたちの中には、周りの子どもたちにぶつかると危険なので参加できないという事例があまたあることを知ってしまった。車いすが危険と言われて、当事者である子どもたちはどう思うだろうか?自分自身の存在がそのまま危険だと言われたに等しい。

学校教育関係者は差別ではないというかもしれないが、日本も批准している『障害者の権利に関する条約』には明確にあらゆる区別、排除、制限を「障害による差別」であるとしている。学校教育関係者には、障害者を排除するのではなく、どうすればみんなと一緒にできるのかと考えてほしい。これを合理的配慮と言う。そして、合理的配慮は特別扱いではない。また家族も当事者も合理的配慮に対して、遠慮・気がねをしないこと。これは私が愛読してやまない『ワニなつぶっくれっと② 就学相談いろはかるた』さとうよういち編著に「遠慮・気がねは、相手の差別に勇気をあたえる」とある。この言葉を私はいつも心に持つようにしている。さらに自分なりにプラスして「遠慮・気がねは、相手の合理的配慮を阻害する」とも感じている。

 

みんなでどうやったら一緒にできるかと知恵を出し合ってやりとげた運動会は、誰にとっても最高の運動会になるはずだと感じる。