4月だと言うのに、寒風吹きすさぶ中、息子は小学校の入学式の朝を迎えた。
「1年何組になっているかな?」と話しながら、校門をくぐって掲示板を見ると1年1組のところに息子の名前があった。両親ともに1年1組なったことがなかったので、何か新鮮な気持ちだった。
幼稚園が一緒だった家族もたくさんいて、お互いに「同じクラスだったね」「隣のクラスだよ」など声を掛け合った。地域の幼稚園から小学校に上がってきた、という実感を得られたものだ。
これはこののち、もっと感じていくのだが、子どもの成長と共に地域の知り合いがどんどん増えていく、家族もろとも、地域に育てられている思いがある。
息子の学習面をサポートしてくれる、支援アシスタント(学習面全般のサポートをする)の先生とはここで初めて顔合わせをした。入学式で体育館への入場があるのだが、その時に車いすを押すのをどうしますか?と聞かれたが、躊躇なくアシスタントの先生にお願いした。
そして息子は、新1年生として晴れやかな顔で会場に入場してきた。
息子の学校での医療的ケアを担当してくれる看護師さんはこの段階で、2名配置が決まっていたが、教育委員会内での契約などの事務手続きの関係で当日は間に合わなかった。これもどうかと思う。
あとあと看護師さんにこの時点の様子を聞けば、決まった段階で、息子との早い顔合わせを望んでくれたそうなのだが、手続き完了するまでは会わせられないと教育委員会が拒んだらしい。
入学してから当分の間、医療的ケアや生活面・学習面の引継ぎ確認、協力のために保護者の付き添いはあるが、幼稚園のときほど息子にベッタリとしたものにはならないだろうと夫婦ともに期待していた。
1年1組になった息子は、手探り状態で入学して、学校生活をスタートさせた。行く行くは看護師さんとの引継ぎを終えて、早いうちに保護者が離脱できればいいなと目論んでいたが、1週間後に事件は起こった。