息子が家に戻って、生活のリズムも出来あがってきた。
方々に出かけたりして、家族で在宅で生活することに対して自信も少しづつついてきた。
そろそろほかの子どもたちと遊ばせてやりたいと思っていた。
妻が療育園に問い合わせた。「人工呼吸器をつけているのですが、通えますか?」
と言うと、担当者が「それは大変なことですね、こちらでは何もできることがありません」
と、にべもなく断られてしまった。
今現在は障害者差別解消法もあり、さすがに門前払いはないと思うが…
これで妻の闘志に火がつき、「よし、専門機関が断るなら、地域で育てよう」と決心したそうだ。それまで、私たちは、どちらかというと、息子のような「重症児」こそ「療育」といった枠組みで育てるべき、と考えていた節があった。それがこのような扱いを受ける。「療育がなんぼのもんじゃい」と反転したとて、不思議はなかった。
わが家ではもともと地域の幼稚園、保育園から小中学校へと考えていた。この事件はその方向性をはっきりとさせてくれた。後に療育園とのやり取りを思い返したとき、療育園はよくぞ断ってくれたもんだ。我が家を「虎に翼をつけて野に放ち」やがったなと感じた。
息子が外へ出ようとして初めて、世に言う「障害者と世間の壁」に直面した出来事だった。
改めて言うが、障害というバリアは、当事者の側ではなく、社会のほうにこそあるのである。
息子のように人工呼吸器をつけて車いすに乗っていても、地域の学校に通う。
この大前提の元に我が家の就学前活動がはじまった。